2:46 and thereafter

会期
2012年2月16日(木)‐3月25日(日)

会場
Pepco Edison Place Gallery(ワシントンD.C.、アメリカ合衆国)

アーティスト
阿部 岳史、赤摩 千穂、海老原 靖、藤田 勇哉、太湯 雅晴、磯部 光太郎、小瀬村 真美、前田 真治、野口 一将、野口 哲哉、野口 満一月、大垣 美穂子、小笹 彰子、佐藤 雅晴、土屋 紳一、土屋 貴哉、海野 良太、山田 啓貴
パフォーマンス:秋好 恩


 2011年に私はワシントンを訪問するチャンスがありました。当時の日本大使夫人、藤崎順子さんが婦人の集まりに招いてくださり、その時に地元のヴィクトリア・ライス(Victoria Reis)さんという現代アートのNPO法人トランスフォーマー(Transformer)をしている方を紹介して下さいました。ヴィクトリアは是非、団DANSとTransformerと一緒に日本の大震災をテーマにした展覧会をワシントンでやりましょう、と言って下さいました。大変有り難いお話でとっても嬉しかった半面、資金の無い団DANSが、どうしたら海外で展覧会ができるだろうかと内心は不安がいっぱいでした。

 2011年の東日本大震災後、震災支援の多くのプロジェクトが立ち上がり、アチコチで支援活動が活発化していました。当時のジョン・ルース(John Roos)駐日アメリカ大使とスーザン(Susan)夫人も活動的で実行力のある夫妻で、相談すると、「今丁度、Tomodachi Initiativeという震災地支援プログラムを立ち上げているから、そこに参加してはどうか?」と言って下さいました。親団体の日米協会(US-Japan Council)の会長、アイリーン・ヒラノ・イノウエさん(Irene Hirano Inouye)からも了解を頂き、ワシントンでTransformerと催す展覧会にはTomodachi Initiativeのスポンサーシップを頂戴する事が出来ました。それによりワシントンの展覧会へ助成が集まりやすくなりました。又、藤崎夫人のご紹介で、ワシントン在住の医療事業で大成功されている上野隆治先生と久能祐子先生が運営されるS&R財団からも助成金を頂戴しました。中でも有り難かったのは藤崎夫人と義妹にあたられる柏木式子さんがフェデックスの支援を取りつけて下さり、フェデックスが展示作品をワシントンまで無料で往復配送して頂ける事になりました。Tomodachi Initiativeの活動の一つに入れて頂けたお蔭でした。又、東京では日本で最も歴史の古い男性の倶楽部:東京倶楽部は若者と国際交流に関するプログラムに支援して下さるという話を聞いて、倶楽部メンバーの安田信さんにご相談しました。早速担当作家と二人で分厚い資料を作り面接に行き、審査の結果、活動資金を頂戴する事ができました。本当に有り難い援助を頂きました。

 ワシントンの展覧会期間中の3月末は、日本からワシントンに桜が送られて丁度100周年に当たる時期で日本大使館では記念行事がいろいろ企画されていました。記念行事の一つに団DANSの展覧会も入れて頂きました。藤崎大使、大使夫人、そして現代アートが大好きという柏木式子さんが展覧会開催に大変力を貸して下さいました。その後も柏木さんにはカタログの翻訳をはじめ、作家ともども、大変お世話になっています。本当に有り難い存在です。

 東日本大震災が起こったのが3月11日2時46分、そしてその後…「2.46 and thereafter」をタイトルにして大震災と津波をテーマにした団DANSにとって初めての海外での展覧会が本当に大勢の方の支援の中、催されました。

 作家の中には震災のショックが冷めやらない中、震災をテーマに制作する気になれない…という人もいました。しかし、19名の作家が思い思いの心のこもった作品を制作してくれました。震災の前の晩に出た月を作品にした人、津波で残った一本松を題材にした作品、亡くなった子か?お花を持って膝まずいた少女、空中に空高く飛んだ巻尺、ノアの箱舟のような和船等々…さすがに大きな素晴らしい作品が制作されました。殆どの作品はフェデックスで運ばれ、相手方のNPO Transformerが受け皿となってくれました。彼等はPEPCOというワシントンの電力会社が持つ、非営利のエディソン・プレース・ギャラリー(Edison Place Gallery)という素晴らしい開催場所を見つけたり、作家達が滞在できる簡易なホテルを用意したりしてくれました。残念ながら作家の渡航費と滞在費を出す余裕は団DANSに無く作家達は頑張って自費で渡航しました。

 藤崎大使ご夫妻は大使公邸で地元の方々を招いて大規模な素晴らしいディナーを催して下さり、団DANSの作家全員をそこに御招き下さいました。素晴らしい大使公邸での、美味しく、豪華な晩餐会は作家達にとって忘れられない経験になった事でしょう。初めての海外展示、しかもワシントンでの展覧会に藤崎大使ご夫妻から頂戴した多大な御支援に深く感謝しております。ご夫妻なしではとても、ワシントンでの展示はなかったと思います。

 それまでの東京での展示と同じく、当番を決めて準備を進めました。皆、英語力不足を痛感したようですが、現地では日系の日本語の出来るサポーターも現れて、作家達も少しずつ英語に慣れて行ったように思います。作品が無事搬入されて、大仕事の設置も進み、いよいよオープニングの日になりました。現地で大使ご夫妻のお力添えがあったお蔭で、オープニングには藤崎大使ご夫妻をはじめ名士の方々やアート関係の方、柏木さんのNYのお友達等、多くの方が集まっていただき賑やかな会となりました。

 NPOトランスフォーマーも現地の支援者と一緒の夕食を一晩準備して下さりアメリカらしいレストランで皆、ご馳走になりました。これも大変良い経験でしたが、何しろ英語のバリアーはなかなか厳しいと思いました。今後、日本人にとって、英語力を付ける事は必須だとつくづく思いました。

 ワシントンにはヘイ・アダムス(Hay Adams)という素晴らしいホテルがあります。ワシントン・カレッジで教鞭をとる成田典子さんが、そこの支配人を紹介下さったところ、可愛らしい日本人女性のケイ・エノキドさんという方で、大変親切にして下さいました。細かい所にも行き届き、決断の早い頼りになる榎戸さんの笑顔にはいつも支えられました。

 オープニングの後、お世話になった方々を招いてヘイ・アダムスの最上階にあるホワイトハウスを見下ろす素晴らしい宴会場で破格のディナーをさせて頂きました。尊敬するダニエル・イノウエ前上院議長が奥様のアイリーン・ヒラノさんと来て下さったことは大変名誉でした。ダニエル・イノウエ上院議員は本当に素晴らしいお人柄でディナーに来ていた友人達も心から感激していました。その後、長く経たないうちにイノウエ議員の訃報を知り、心からご冥福をお祈りしました。日系人として第二次世界大戦に参戦され、ヨーロッパの激戦地で片腕を失くされましたが、戦後ハワイ州からの上院議員として長く活躍し、上院議長までされた方です。誰からも尊敬される稀有な、そして日本人にとっては本当に有り難い存在でいらっしゃいました。

 ワシントン・ポストは日曜版の芸術欄1ページを使って、団DANSの展覧会を取り上げてくれて、作品写真も沢山載って何より皆の励みになりました。私は慣れない記者の取材に四苦八苦でしたが、記事を読んでホッとしました。

 2月16日から3月25日という長期間の展示でしたが、大勢の来場者があり、作品もかなり買って頂けました。収入の半分は大変お世話になったNPOのTransformerに差し上げました。

 個人的な事ですが、父の知り合いの大学教授の子息が20年程前にワシントン・ポスト紙から日本に赴任して来られ、時々我家に生まれたばかりの赤ちゃんを連れて遊びに来ていました。その後、彼はモスクワに転任して音信が途絶えていました。展覧会のオープニングでワシントン・ポストの編集長が来るからと言う話で、緊張して待っていた所、何と現れたのがその人、フレッド・ハイアット(Fred Hyatt)さんでした。彼の隣に可憐な女性がいて、何と日本で生まれたばかりだったベビーが素敵に成長したお嬢さんでした。これ程、嬉しいサプライズはありませんでした。

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