Le Monde de Coco

会期
2007729‐812

会場
シャネル・ネクサス・ホール(銀座、東京)

キュレーター
クリスティーヌ・ヴァンドルディ・オザノ

アーティスト
赤摩 千穂、海老原 靖、笛田 亜希、藤田 勇哉、太湯 雅晴、菊池 省吾、北村 直子、前田 真治、真野 りつ、三宅 一樹、ミヤケマイ、諸熊 仁志、村林 基、武藤 亜希子、中田 ナオト、野口 一将、野口 哲哉、大野 修平、徳丸 鏡子、吉田 朗


 学生時代からの友人、バカラを経営する小川博さんは我々の活動の初期から団DANSに興味を持って下さり、支援を頂きました。彼が紹介してくれたシャネル・ジャパンのリシャールコラス(Richard Collas)社長は、ココ・シャネルもピグマリオンと言って若手の芸術家の支援に熱心でしたから、と気持ち良く銀座店の4階にあるネクサス・ホール(Nexus Hall)で展覧会を催す事を承諾して下さいました。シャネル側からココ・シャネルにちなんだシンボルを展覧会のテーマにしてほしいという申し出があり、コラス社長自ら、作家達にココ・シャネルについて講演をして下さいました。皆はシャネルの生い立ちやその歴史をリサーチし、作家20名が力の入った作品を展示する事ができました。広いホールとはいえ、様々な作品をどう展示するか、模型を作って考えました。シャネルの意向で壁やパーティションは全て黒で統一し、白ばかりを考えていた私は黒のバックもなかなか個性的で良いな…と思いました。オープニングには多くの方が来て下さり、作品もよく売れましたが、特に海外のコレクター(香港、クウェート)が作品を買って下さったのが印象的でした。一人のコレクターはアートが大好きなクウェートの王子と分かりました。ご自分の美術館を建築中で、是非団DANSの作家の展示をしたいと言って来られました。美術館の図面も送られ、作家の選考も進んだ頃、リーマンショックが起り、全てが中止となりました。私としては大変残念でしたが、作品を送る前で良かった…と安堵した事もあります。アートを仕事とする方の難しさも少し垣間見ました。

 この展示から新しい試みも始めました。シャネルの3階には「ベージュ」という素敵なレストランがあり、そこでオープニングを兼ねたファンドレージングランチをする事にしました。友人達にアート好きな方々といらして下さいと声をかけると、80席余りのレストランは満席になり、展覧会の経費をかなり補う事が出来ました。たまたま日本を視察に訪れた四川美術学院の一行もご招待して喜んで頂きました。

 又、助成金については、友人の広瀬篁治氏、安田信氏のお力添えでバッカーズ・ファンデーションから支援を頂ける事になり、どんなに助かった事でしょう。それまで助成金を頂いた事がなかったので、バッカーズからの助成は一番苦しい時期に本当に有り難いものでした。

 さて、シャネルの展示が終わって気付いた事は、展覧会の準備が手伝う気のある作家に集中していた事です。これをどうにか皆が平等に責任を負い、出来るだけ皆で展覧会を作り上げる方向に持って行きたいと思いました。又、全体を見渡せ、中心になって皆を引っ張ってくれる人も必要です。私がラッキーだったのは、展覧会を催す毎にそう言った中心になって手伝ってくれる作家が必ず出て来てくれた事です。

 展示作家の数も段々と増えるようになり、仕事も細かく分けるようにしました。出展作家を決めると最初に全員でミーティングをします。その時に仕事を決めるのですが、やりたい仕事を受け持つため、作家がどんどん手を上げて積極的に参加してくれるようになりました。

 1回目のミーティングで決める事は、中心になるリーダー、フライヤー・カタログの作成をする人、搬入搬出の時間割を作り現場で指示する人、キュレーションに従い作品の設置は各々で行い、手の空いた人は他を助ける、キャプションの制作、名札の作成、オークションの準備(作品リストの作成、入札票、入札箱)、芳名帳、ファンドレージングの係り等々です。回を重ねる度に修正して、人数が増えても次第にスムーズに展覧会を催す事が出来るようになって来ました。作家達もあれこれと慣れない仕事で苦労しながらも、何かしら得る事もあったようです。そして、不思議な事に分野の違う作家達がジャンルを越えて、お互いに知り合う機会にもなり、個人的に付き合いが広がっているようでした。

この頃になると芳名帳は厚くなり、名簿の整理も必要になってきました。

 そしてお世話になった方へは心のこもった作家の小作品をプレゼントする事が多くなりました。

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